第50話   庄内竿の作り方   平成15年10月18日  

庄内では、古来地元に産する俗に云う女竹(苦竹)を釣竿にしてきた。

この竹の種類はこの地方で俗に女竹と云って居るが、同じく関東にも女竹と云われている竹がある。ただ関東の女竹の方はヤダケと同じように穂先が使えないと云う。同じ女竹とは云っているが、庄内の女竹は穂先まで一本の竹で竿に出来る苦竹という竹である。江戸時代に江戸詰めの侍が、その竹をワザワザ関東から船便で庄内に送ってウラを継いで釣竿を作らせという話がある。しかし、其の竿は庄内の竿に比べると硬く癖が付きやすかったと云われている。

現在では苦竹が水揚げが終わった時期、11月の最初の雪が降った頃から遅くとも12月の末にかけ三年古以上の苦竹を堀りに行く。これはという竹が見つかったら突き鍬状の鋭利な刃物を使って其の竹の周囲の根切りを行う。そうして気に入った何本かの竹を根を付けたまま掘る。適当に枝を払い根を綺麗にしてから天日に乾かす。

翌春、一番硬い根の部分を真先に真直ぐに矯めて置く。関東や関西の竿の作り方での大きな違いは根を付けて置く事と決して竹肌を取り去ると云う事はしない事の二つである。庄内では竹肌を大事にするし、又傷がつくのを極端に嫌っている。

次に芽取りである。芽取りも色々人によってやり方がある。小刀のみで綺麗に仕上げる人、仕上げに木賊掛けを行う人また其の他の技法の人が居てどちらが良いとは一概には云えない。200年という長い間に色々なやり方が生まれてきた。

次に第一回目の矯めに入る。竿を炭火で温め木蝋を塗って焙る。竿に火が付く瞬間に火から取り出して竿を矯める。これが長年の熟練を要するところだ。同じ蝋燭でも西洋蝋燭では絶対にいけない。西洋蝋燭では火に焙ると引火点が低く竹が暖まらない内に火が付いてしまうのである。矯めが終わった段階で熱い内に直ぐに濡れ雑巾で拭き取る。これが終了したら、出来れば煤棚(すすだな)に保管し煙で燻す。この段階ではまだ燻さない竿師の方も居るようだ。

翌年の春、竿を取り出し又火に焙り和蝋燭を使用して竿を矯める。これを最低45年は繰り返す。すると竿が段々締まって来て癖のつかぬ立派な庄内竿へと変身するのである。とかく2年古を3年古と偽ってそれを2年位で仕上げ売っていた時期があり、粗製濫造の時代(明治末期、大正、昭和と)が結構長く続いた。作れば売れた時代、グラスやカーボーンロッドに押された時代で手間隙をかけてまでは作られていなかったのである。それ故に昭和の初めの山内賢士を最後に名竿は殆んど出てこない。

本当の庄内竿であれば50年、100年と長く使える。それは竿師の手間隙かけた竿作りと釣師の日ごろの手入れの成果なのである。